桜は思い出への入り口

週末ホテルです。

今年も早いもので1年の1/4が終わろうとしていますね。
最近は冬のような寒さは無くなり、春を感じるようになってきました。

春と言えば、卒業や入学そして桜のシーズンですね。

今回はそんな春にぴったりの桜について、少し書いていこうと思います。

目次

卒業・入学のシーズン

僕はあまり「卒業」に対する思い入れは少ないようです。

・「入学」などの新しいことに対する楽しみが勝っていたのではないか?
・SNSの普及により、友人との別れというものが特段感じられなかった?
・出身が東京ということもあり、地理的にも故郷との別れのようなものは感じなかった?

おそらく上記のような理由からそこまで「卒業」に対する思い出のようなものは少なかったかなと思います。
(決して旧友をないがしろにしている訳ではありません笑)

一方「入学」についてですが、
僕は中高一貫でしたので、大学の入学式の前となると中学の入学式になってしまいます。
さすがに中学の入学式の記憶はほとんどないのですが、大学の入学式にはいろいろな感情がありました。

・どんな大人になりたいのか?
・そのために大学でなにをするのか?
・4年間で僕はどう変わるのだろうか?
・どんな友人ができるのだろうか?・・・等々

加えて、僕は大学受験に失敗し、第一志望ではなく第二志望の大学に進学をすることになりました。
入学式の当日は「今参加している入学式に出ていることが悔しかった」
という想いが、一番強かった記憶があります。

僕にとってはほろ苦さが目立つ入学式でしたが、桜が満開だったことも覚えています。
これでもかという満開の桜
まるで桜は門出を祝うために咲くことが使命かのようですよね。

桜を綺麗と感じることはなかった

そんな桜ですが、「ある時」までそこまで桜を見て綺麗と感じることもありませんでした

おそらくですが、桜よりも入学などの行事が僕にとって大きかったので、
僕の中での桜の位置づけが「入学などの行事の付随物」
程度の認識だったのかなと思います。

しかし「ある時」を境に桜が綺麗と感じるようになりました。

桜を綺麗と感じるようになった

桜を綺麗と感じるようになったのは今でも明確に覚えています。
大学2年生の春でした。

どうして大学2年生を境に綺麗と感じるようになったのか僕なりに考えてみました。
おそらくですが、思い出とリンクしたからではないか?と思います。

桜のシーズンである春は、
出会いや別れなど様々なほろ苦い、そして、ほろ甘いような思い出がたくさんあります。

そんなほろ苦い、そして、ほろ甘いといった思い出のすぐそばに、いつもがありました。

僕が桜を綺麗と感じるようになったのは、
桜の姿形だけを見て綺麗と感じたのではなく、
桜、そして、桜を見ることによって思い出される様々な思い出を合わせて
綺麗と感じるようになったのではないかと思います。

僕にとっては大学2年生の時に、
桜を見て思い出される思い出の数がある一定量まで達したのだと思います。

今でもはっきりとあの時に見た桜を覚えています。
近所の大きな公園にある桜でした。

日が落ち、ライトアップされた桜
遠くから響いて聞こえてくるお花見をしている人達の声
顔を横切るまだ冷たさの残る風

今年は桜を見て僕はどう感じるのでしょうか。
来年は桜を見て僕はどう感じるのでしょうか。
皆さんは桜を見て何を感じますか?

今回は以上になります。

_週末ホテル_

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