サクレレモン

今僕の前にはサクレレモンが二つある。
必要以上に冷房を効かせた部屋で、僕はサクレレモンを食べている。
部屋には、冷房の音と、サクレレモンを噛み締めるシャリシャリという音しか聞こえない。

今回初めてサクレレモンを二つ買った。

サクレレモンとはレモン味のかき氷の上にスライスしたレモンが一枚乗っている。
いわゆる、レモン味のかき氷である。

サクレレモンは、おばあちゃんが好きだった。
僕は最初に一番上に乗っているレモンから食べたが、
おばあちゃんは外した蓋にレモンを乗せ、最後にレモンを食べていた。

そんなおばあちゃんが、先日亡くなった。

僕はおじいちゃん子、おばあちゃん子だった。
小学生の時に両親が離婚し、母と姉と僕の三人がおじいちゃん達と暮らすことになった。
母は僕たちのために働いていたので、必然的におじいちゃん、おばあちゃんと過ごすことが多くなった。

おじいちゃんはその一年後に亡くなってしまったので、以来ずっとおばあちゃんと過ごす時間が多かったと思う。

僕に箸の持ち方を教えてくれたのはおばあちゃんだった。
そういった礼儀やマナーについて、おばあちゃんは凄く厳しかった。
今でもとても感謝をしている。

小学生の時に掛け算を教えてくれたのもおばあちゃんだった。
おかげで、皆が苦労して暗記をしているなかで、僕はすんなりと掛け算をクリアすることができた。
僕が小学校へ登校する時、必ず僕が見えなくなるまで見送ってくれていた。
おそらく僕という人格形成に一番影響が出るだろう小学生の時期に、ずっとそばにいてくれた。
母だけでは寂しい想いをしていたかもしれない、いや、おそらくしていたと思う。
凄く感謝をしている。

中学に進学した時には、制服をおばあちゃんに買ってもらった。
入学式へと向かう朝、制服を着ておばあちゃんと写真を撮った。
照れくさくて、笑顔をつくれなかったことが今となっては少し後悔している。
小学生の時から野球をしていたので、中学では野球部に入部した。
朝練や遠征で朝早いときにも、朝早く起きて僕を見送ってくれた。僕が見えなくなるまで。
泥だらけにしたユニフォームを洗って干してくれたことも忘れない。
凄く感謝をしている。

高校に進学した時にも、制服をおばあちゃんに買ってもらった。
入学式へ向かう朝、制服を着ておばあちゃんと写真を撮った。
照れくさくて「写真なんて撮らなくていい」と言い、
笑顔の一つも見せず写真を撮ったことを今となっては凄く後悔している。
高校三年生になり、大学受験についてすごく心配をしてくれた。
大学受験の当日には「頑張るんだよ」と応援をし、見送ってくれた。僕が見えなくなるまで。
もしかしたらおばあちゃんがいなければ、金銭的な面において僕は大学進学すら夢物語だったかもしれない。
凄く感謝をしている。

大学に進学し、何カ月か経ったとき、おばあちゃんの様子がおかしくなった。
最初は火をつけっぱなしにしたり、ご飯を食べたことを忘れたり、などなど。
最初の頃は母も姉も僕も「ボケてきちゃったんじゃないの」と冗談交じりにおばあちゃんと言い合っていた。

ただ、どんどんおかしくなっていった。
物忘れだけでなく、本来のおばあちゃんがどこか遠くへ行ってしまったようだった。
まるで僕の知っているおばあちゃんではなく、別の知らない人になってしまったように感じた。

母が病院に連れていき、認知症と診断された。
母はどこか遠くへ行ってしまった本来のおばあちゃんを取り戻すように努力をしたが、
日に日におばあちゃんは悪い方へと変わっていってしまった。

念のため通帳などは全て母が管理するようになったが、
「あんたらは私のお金を盗んでいる」とおばあちゃんは言うようになった。
それでもなお、母は本来のおばあちゃんを取り戻そうといろいろなことを試した。

僕はそんなおばあちゃんが嫌いになってしまった。
家に帰ってきては、暴言を吐いているおばあちゃん。
頭では、認知症であり、仕方がないことであると分かっていたが、
受け入れられるほど僕は大人ではなかった。
おばあちゃんに対して冷たい事を言ったこともある。

ただ僕は苦しかった、
箸の持ち方を教えてくれたおばあちゃん。何でもでき、気品のあったおばあちゃん。
そんなおばあちゃんが、箸すら持てなくなる。
そんなおばあちゃんを見ていたくなかった。

足腰も悪くなり、補助が無いと歩けなくなってしまってから、おばあちゃんは施設に入った。
施設に入ってからは、おばあちゃんは少し落ち着いた。

ただ、どんどん元気がなくなっていった。
面会に行っても、ベッドに横たわり天井を眺めているだけの時間が多くなっていった。

母から、おそらく今年が家族だけで外出できる最後になるからと、旅行に行こうと提案を受け、
おばあちゃんがずっと行きたがっていた伊勢神宮に行った。

旅行中のおばあちゃんは、穏やかな時もあれば、認知症の症状が出てる時もあった。
帰りのサービスエリアで休憩している時、僕とおばあちゃんが二人きりになる時があった。
僕はおばあちゃんに聞いた、
「旅行は楽しかった?」と。
おばあちゃんは、
「すごく楽しかったよ」と言った。

僕は涙が込み上げてくるのを抑えられなかった。
「凄く楽しかったよ」と言ったおばあちゃんの表情は、
僕の知っている本来のおばあちゃんだったから。

おそらくそう遠くないうちにおばあちゃんは亡くなってしまうであろうと感じていたが、
最後に本来のおばあちゃんに会えた気がした。

掛け算を教えてくれたおばあちゃん。
箸の持ち方を教えてくれたおばあちゃん。
お見送りをしてくれたおばあちゃん。
制服を買ってくれたおばあちゃん。
ユニフォームを洗ってくれたおばあちゃん。
一緒に写真を撮ったおばあちゃん。
一緒にサクレレモンを食べたおばあちゃん。

旅行を終え、おばあちゃんは日に日に体調が悪くなっていった。
コロナが蔓延し、面会もできなくなってしまった。

そうしたなか、おばあちゃんが危篤だと連絡を受けた。
久しぶりにおばあちゃんに会ったが、おばあちゃんは話すことも出来なかった。
医師の方曰く、衰弱だと。
母は、苦しくないならよかったと泣いていた。

脈拍が安定しているので、今日はなんとか大丈夫そうと言われたので、家に帰った。
翌朝、先に面会に行った母から「すぐに来て」と連絡があり、介護施設まで急いで向かった。
その道中、もしかしたらと思っていたが僕を案内してくれた介護施設の職員の方の表情をみて悟った。

部屋に入ると、
「おばあちゃん死んじゃったよ」と泣きながら母に告げられた。
医師の方、介護施設の方々、母がいたので、涙を流すことが恥ずかしくて泣くことができなかった。
「ありがとう」と小さく声をかけ、僕は部屋の隅でおばあちゃんを見ていた。

母が一度家に帰るといい、部屋にはおばあちゃんと僕の二人だけになった。
おばあちゃんの額に手で触れた瞬間、涙が出てきた。
恥ずかしいと思ったが、こらえる事はできなかった。

ありがとう
冷たいことを言ってごめん
どんな人生だった?
僕のおばあちゃんで良かったかい?

伝えたいことが多すぎて、言葉にならない想いが、涙として出ているようだった。

あの旅行の時の「凄く楽しかったよ」というおばあちゃんの言葉を聞いて、
僕には、後悔は無いと思っていた。
最後に最高のおばあちゃん孝行を家族でしたと思っていた。

ただ、おばあちゃんとの思い出を振り返っていると、
唯一の後悔がふと思い出された。

サクレレモンを買ってあげていない。

サクレレモンをおばあちゃんと食べている時に僕がいつも言っていたことがある。
「将来稼ぐようになったら、いくらでもサクレレモン買ってあげる。毎日買ってあげる」
おばあちゃんは優しそうな顔で、
「嬉しいねえ」と言った。
あの表情が思い出される。

後悔が無い?ふざけるな。
サクレレモンを買って一緒に食べる機会はいくらでもあったはずなのに、
おばあちゃんが変わってしまったことを理由に僕はしなかった。

僕は初めて、声を出して泣いた。
周囲の目を憚ることなく。

その日の夜、葬儀等の日程が決まるまでの間、おばあちゃんが数年ぶりに家に帰ってきた。
冷たくなったおばあちゃんに触れた時、改めておばあちゃんの死を実感した。

母が寝た後、一人でおばあちゃんがいる部屋に行った。

今僕の前にはサクレレモンが二つある。
必要以上に冷房を効かせた部屋で、僕はサクレレモンを食べている。
部屋には、冷房の音と、サクレレモンを噛み締めるシャリシャリという音しか聞こえない。

今回初めてサクレレモンを二つ買った。

僕はかき氷の部分を食べ終え、蓋に乗せておいたレモンを最後に食べ、蓋を閉じた。

おばあちゃんのそばに置いたサクレレモンは、量が変わっていない。

部屋には、冷房の音と、僕のすすり泣く音しか聞こえない。

FIN

感謝を言葉にするって少し照れくさいですよね。
僕は口下手といいますか、なかなか「ありがとう」という言葉を、
身内に伝えることが出来ないタイプです。
ただ、伝えたい相手が死んでしまってからでは、もうどうすることもできない。
そんなことを痛感しました。

僕の祖母は戦時中・戦後を生き抜いてきた世代の人です。
僕よりもいろいろなことを我慢し、いろいろ辛い事を経験してきた世代です。
心の底から尊敬をしています。

もし会えるのであれば、いろいろ聞きたいです。
人生に満足だったかい?
僕のお母さんのお母さんで良かったかい?
僕のおばあちゃんでよかったかい?

僕が買ったサクレレモンを食べながら。

_週末ホテル_

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