コーヒーの香りがゆっくりと立ちのぼる。窓際の席、午後の柔らかな光。ページをめくるたび、本の紙の手触りが静けさに溶けていく。目の前には誰もいない。話し声も遠く、小さなBGMが店内を薄く満たしている。スマートフォンは伏せたまま、誰の通知も気にしない。
この時間が好きだとふと思う。理由は色々あるのだろうけれど、今日はひとつはっきりしたことがあった。今、自分は誰とも比べていない。誰かより優れているわけでも、劣っているわけでもない。ただ、「ここにいる」だけの自分を、そのまま許せている。なにかを成し遂げなくても、評価されなくても、こんなにも穏やかでいられるのかと、少し驚く。
思えば、日常の多くの場面は「誰か」とつながりながらできている。職場、友人、SNS。意識していなくても、そこには常に他者の視線がある。あの人は仕事ができる。あの人は美しい。フォロワーが多い、人気がある、話が面白い。目に入る情報が、無言のうちに「比較」を強いてくる。自分はそれに耐えているつもりで、実はずっと削られていた。
誰かとつながることは悪いことじゃない。むしろ、人と話すことで気づけることもあるし、笑い合える喜びもある。でも、その裏には「誰かと自分を比べる癖」も同居している。本人に悪気はない。けれど、見えない競争に巻き込まれるように、心が消耗していく。無意識のうちに、自分の存在を“誰かとの相対値”で測ってしまう。そして、理由のわからない疲れが溜まる。
だからこそ、一人の時間は大切だ。誰かと離れるというよりも、自分を回復させるための時間。比較から解放され、「そのままの自分」でいられる時間。誰の評価も入らない静けさの中で、やっと本音の呼吸ができる。何者にもならなくていい。何かを達成しなくてもいい。ただ、「居る」だけで十分な時間。
ひとり時間を「逃避」だと捉える人もいる。社交を避けることへの否定もある。でも実際には、その逆だ。一人になれる人だけが、健やかに他人と関われる。外の世界に出るには、自分という根をしっかり育てておく必要がある。そのためには、比較も評価も不要な、静かな時間がいる。
気楽だから、自由だから、というだけではない。ひとりの時間には、他者とつながる準備をする力がある。目を閉じて、自分に戻る。自分だけの速度、自分だけの感覚、自分だけの価値を確かめる。そしてもう一度、人の輪に戻っていくために。
ひとり時間は、目的のある時間だ。他人と関わることと、距離をとること。その両方が必要で、そのバランスが、自分を守る術になる。
静かな午後、カップの底に残ったコーヒーを見つめながら、ふと思う。誰とも比べていないとき、自分はこんなにも、穏やかに生きている。
たっくす
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