雪の記憶

2025年3月3日。東京に雪が降った。

僕の記憶では、今シーズン初めての雪だった。湿ったアスファルトの上に、白い粒が静かに舞い降りる。空を見上げると、灰色の雲の切れ間から、冷えた光がわずかに射している。東京の雪はたいてい儚く、すぐに消えてしまう。地面に落ちた雪が瞬く間に溶けていく様子を見ると、それがこの街にとって異物であることを思い知らされる。

雪が降ると、普段と違う感情が心の奥底から湧き上がる。見慣れない光景に触れたとき、人は非現実の扉を開くのかもしれない。いつもの街並みが、まるで別世界のように見える。車の音は雪に吸い込まれ、街が一瞬だけ静寂に包まれる。この静けさが、心を幻想へと誘うのだろう。

学生の頃は、雪が降ると胸の奥に甘美な興奮が広がった。夜になれば、街灯の下で雪が輝く様子をいつまでも眺めていたものだ。雪の降る夜道を、わざと遠回りして帰った記憶がある。足跡のついていない路地を選び、真新しい雪の上を踏みしめる感触を楽しんだ。靴が濡れることなど気にも留めず、雪に手を伸ばし、息を吹きかけてみたり、無邪気に手のひらで溶かしたりした。

一方で、今の僕はどうだろう。窓の外に雪を見つけた瞬間、最初に浮かんだのは「美しい」という感情だった。しかし、そのすぐ後に「電車は止まらないだろうか」「靴がぐしょぐしょになるのではないか」という現実的な考えが忍び寄る。感傷に浸るよりも先に、仕事のスケジュールや帰り道のことを心配するようになった。雪に触れることよりも、雪によって生じる不便さを考える。大人になるとは、そういうことなのかもしれない。

昔は、雪が降ればそれだけで心が弾んだ。手袋もせず、雪を掴んでは丸めて遊び、冷たさに手がかじかむことさえ楽しんでいた。しかし今は、雪に濡れた服の乾き具合や、翌朝の凍結を気にする。子供の頃には想像もしなかった心配事ばかりが頭をよぎる。

何かを見たときに、素直に無邪気に感情を表せるのは、若さの特権なのだろうか。そう思うと、少し寂しさが胸をよぎる。大人になるとは、物事を現実的に考えることを余儀なくされることなのか。けれども、ただ無邪気でいるわけにもいかない。理想と現実の狭間で、僕たちは折り合いをつけながら生きていく。時には、雪が降る街を眺めながら、過去の自分と対話する時間も必要なのかもしれない。

雪はやがて止み、街はいつもの喧騒を取り戻すだろう。幻想の余韻を残したまま、僕は今日という一日を生きていく。そうして、現実と向き合いながらも、ふとした瞬間にこぼれる無邪気な感情を忘れずにいたいと思う。

たっくす

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