選択肢の多さは幸福か、それとも迷いの種か

人生における幸福とは何か。

この問いに対する明確な答えを持つ者は少ない。幸福は主観的なものであり、個々の価値観や環境によって大きく左右される。その中でも、「選択肢の多さ」は幸福度に影響を与える要素のひとつではないかと考えることがある。

例えば、進学や就職という場面を想像してみる。大学に進学すれば、就職の選択肢は広がる。企業の中には大卒以上しか採用しないところもあり、学歴がなければそもそも門前払いされる可能性もある。もちろん、大学進学が唯一の正解とは思わないが、少なくとも選択肢を増やす手段の一つとして機能していることは間違いない。Aもできる、Bもできる、Cもできる。その中から自分に合ったものを選び取ることができることこそが、ある種の自由であり、幸福につながるのではないか。

しかし、ここでふと考える。選択肢が多いことは本当に幸福なのだろうか。

選択肢が多いことで、逆に迷いや責任感に押しつぶされることもある。決断の重圧が幸福を阻害する要因になりうるのではないか。Aを選べばBは捨てなければならない。Cを選んだ時にBの可能性を完全に閉ざしてしまう。その後の人生で「あの時Bを選んでいれば」と後悔することもある。自由とは同時に不安をもたらすものでもある。

一方で、選択の余地がない人生はどうか。

例えば、医者の家系に生まれ、医者になることしか許されない人生。家業を継ぐことを強いられる人生。スポーツ選手になることを宿命づけられた人生。そう聞くと、自由のないつまらない人生のようにも思えるが、実際には選択のストレスがない分、楽なのではないかと感じることもある。

自分の進むべき道が決まっているということは、選択の苦しみから解放されることを意味する。選ぶ必要がないため、間違うこともない。迷いのない人生というのは、ある意味で幸福なのかもしれない。

これは、結局のところ個人の性格や価値観に左右される問題なのだろう。

能動的に人生を切り開くことを好む人間にとって、選択肢が多いことは魅力的だろう。自分の可能性を模索し、選び取ることが生きる意味に直結する。しかし、すべての人がそうではない。決められたレールの上を走ることに安心感を覚える人間もいる。むしろ、レールのない人生に恐怖を感じる人もいるだろう。

おそらく、私は後者なのかもしれない。

これといって人生の軸となるものがなく、何かに強くこだわることもない。だからこそ、選択を迫られることに負担を感じる。すでに決められたレールに文句を言わずに乗っているほうが楽なのではないか、と考えてしまう。

とはいえ、結局のところ「隣の芝生は青く見える」のだろう。

選択肢が多い人は、自由に悩まされる。選択肢が少ない人は、不自由を嘆く。どちらにも一長一短があり、どちらの人生も完全に幸福とは言い切れない。

では、幸福とは何なのか。

おそらく、選択肢の多さや少なさそのものが幸福を決定するのではないのだろう。重要なのは、自分が選んだ道、あるいは選ばされた道に納得し、それを受け入れられるかどうか。その覚悟があるかどうかで、幸福の感じ方は変わる。

結局のところ、幸福は選択肢の多寡ではなく、選んだ道をどう生きるかにかかっているのかもしれない。

たっくす

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