僕の家族には、一風変わった年末のルールがある。12月30日にはどこかのホテルに泊まり、31日は家で家族揃ってすき焼きを囲むというものだ。幼い頃から続くこの慣習は、僕たち家族にとって新年を迎えるための儀式のようなものだった。
今年もその「儀式」の日がやってきた。今年の僕たちの行き先は葉山だ。これまでは都内のホテルに滞在することが多かったが、馴染みのホテルばかりになり、最近では少し遠出をすることが増えた。郊外の新しい場所には、都会では得られない静けさや時間の流れがある。そんな場所で、年末のひとときを過ごすのは格別な楽しみだ。
昨日までの僕は、都内の忘年会ラッシュの喧騒の中にいた。飲み会に明け暮れる日々は慌ただしく、どこか息苦しさを伴うものだ。それが今、葉山にいる。喧騒とは無縁のこの地では、時間そのものが柔らかく流れているように感じる。年末だからだろうか。それとも、葉山という土地が持つ独特の空気感によるものだろうか。答えは見つからない。ただ、静けさの中で深く息を吸うと、身体の奥底に溜まっていた疲れが少しずつ溶けていくのが分かる。
現在、時計の針は20時を指している。ホテルでのディナーを終え、部屋に戻って一息ついたところだ。部屋の窓からは相模湾が広がっている。けれども外は真っ暗で、その姿を目で捉えることはできない。僕に届くのは、窓越しに聞こえる波の音だけだ。その音は穏やかで優しい。まるで相模湾そのものが年末の休暇を取っているかのように感じる。
毎年恒例となったこの行事は、いつまで続くのだろうか。家族でホテルに泊まることも、年越しにすき焼きを囲むことも、僕たちにとっては当たり前の風景になっている。でも、当たり前は永遠ではない。どんなに確かなものも、いつかは形を変える。諸行無常――それは人の営みにも当てはまる真理だ。
だからこそ、一回一回を大切にしたいと思う。一見すると何気ないこの時間も、後になればかけがえのない思い出になるかもしれない。波の音に耳を傾けながら、そんなことを考える。
さて、そろそろ部屋で軽くお酒を飲んで、眠る準備をしよう。明日は僕にとって重要な「仕事」が待っている。家族で食べるすき焼きの主役となるお肉を今半で買って帰ることだ。これも毎年恒例の責務であり、家族からの信頼が込められた役割だ。僕が持ち帰るお肉が、今年最後の食卓を彩る。
当たり前になったこの役割も、いつかは変わる日が来るだろう。その時、僕たちは何を感じるのだろうか。いずれにせよ、当たり前が当たり前である間は、その一つ一つを丁寧に刻みつけていきたい。
静かな葉山の夜、相模湾の優しい波音に包まれながら、僕はそんなことを心に誓った。
たっくす
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