ふとした瞬間、机の片隅に置いてある免許証が目に入った。普段は財布の中で静かに眠っているそれが、何かを訴えるかのように存在感を放っている。何気なく手に取り、有効期限を確認する。気づけば、次の更新が一年を切っている。更新の案内が届くまで放置しておく手もあるが、頭の隅でちらつく「免許更新」の二文字が妙に重く感じられる。
自分の免許はゴールドだが、その内訳を深く語る気にはなれない。いわゆる「なんちゃってゴールド免許」。運転をする機会が少ないからこその無事故無違反だ。とはいえ、ゴールド免許保持者の特権である簡略化された更新手続きも、免許センターに出向くという事実には変わりない。億劫さを覚えるのも無理はないだろう。
次回の更新の手間を思い浮かべると、自然と前回の更新時の記憶が蘇る。あの時、免許センターで感じた感覚が忘れられない。受付から講習までの流れの中で、ふとした瞬間に気づいたのだ。ここは「人種のるつぼ」だ、と。
思い返せば、自分がこれまで過ごしてきた環境は、どれも「似たもの同士」が集まる場だった。公立小学校では、同じ学区内の子供たちが自然と集まる。大学では、学力や興味関心で絞り込まれた集団の中で生活が営まれる。社会人になれば、同じような志や専門性を持つ人々が職場に集まる。それぞれの共同体が持つ特性は、「似た者同士」という性質に収束していく。
「類は友を呼ぶ」という言葉が頭をよぎる。この世界には無数のコミュニティがあるが、それらが形作るものは、おおむね「同質性」の網目だ。しかし、免許センターは違う。少なくとも、自分が知る限りでは。
免許センターに集まる人々を見渡すと、そこに共通点を見出すのは容易ではない。確かに、地域という地理的な縛りがあるから、物理的には「似た場所」に住む人々だろう。しかし、年齢や職業、人生の背景は千差万別。制服姿の高校生が隣に座るかと思えば、杖をついた高齢者が列を作る。その隣には、どこか疲れた顔のサラリーマンや、仕事の合間に来たであろう作業服姿の男性がいる。
一つの部屋にこれだけ異なるバックグラウンドを持つ人々が集まり、一つの目的に集中している状況。そんな光景を見られる場所が他にあるだろうか。頭をひねって考えてみても、思いつくのは免許センターくらいのものだ。だからこそ、あの場所にはある種の面白さがある。
退屈な手続きの合間に人々の観察をする。それが、免許更新という行為に彩りを加える唯一の楽しみだ。ふとした瞬間に「この人はどんな人生を歩んできたのだろう」と想像する。その行為は一瞬だけ、自分を日常の枠から解き放ち、他者の人生を垣間見る窓となる。
次回の免許更新も間違いなく同じような感覚を味わうのだろう。受付で手続きを済ませ、講習室で椅子に座る。その時、再び思うのだろう。「ここにはいろんな人がいる」と。そして、その感覚を抱いたことすら忘れるくらいにあっけなく更新が終わり、新しい免許証を手にセンターを後にするのだ。
人々の多様性が凝縮された空間。それは、わずかな時間だけ現れる幻のようなものだ。次に訪れるときには、また少しだけ違った人々がいるのかもしれない。しかし、それでも免許センターの「るつぼ」たる本質は変わらないだろう。
たっくす
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