2024年が静かに幕を下ろそうとしている。今年もまた、当たり前のように365日があり、そのひとつひとつに様々な出来事が詰まっていた。毎日が同じように流れていくかのようで、実際にはどこかで少し成長し、どこかで少し退化していた。そうした揺れ動く時間の中で、僕自身も少しずつ形を変えていたのだろう。それでも、今この瞬間にふと振り返ると、特に心に残っている出来事は四つだけだった。長く考えたわけでもなく、直感的に浮かび上がってきた四つの断片。これが僕にとって2024年の特筆すべき瞬間なのだろう。
まず最初に挙げるべきは、WindowsユーザーからMacユーザーへの転向だ。これは僕にとって意外にも大きな変化だった。長年親しんだWindowsのショートカットや操作感に慣れ親しんでいた身として、最初は戸惑いしかなかった。ショートカットは馴染みのない配置に変わり、シンプルなはずの操作が不意に複雑に感じられた。だが、数週間、いや数ヶ月かけて少しずつ慣れていくと、Mac独特の洗練されたデザインや、iPhoneやiPadとの親和性の高さに感動すら覚えるようになった。デバイス間のスムーズな連携は、単なる技術の進歩を超え、日常生活を軽やかにする道具としての力を僕に教えてくれた。会社のPCは相変わらずWindowsで、完全に手放すには至らないけれど、Macを手にしたことで世界が少し変わった気がする。
次に訪れたのは、心が若干病むという経験だった。「若干」という表現が正しいかどうかはわからないが、確かに心のどこかが軋むような感覚に囚われていた。最初はただ眠れない夜が増えただけだった。それがやがて、晴れ渡る青空を眺めても胸の奥が曇ったように感じる日々へと繋がった。原因はわかっている。仕事で取り組んだ難しいプロジェクト。期待されていると感じながら、結果を残せない焦燥感。上司や先輩はよくやっていると褒めてくれたが、僕自身が自分に課した高い期待値には届かない。そんな状況が続き、自分の価値を疑うような暗い感情に囚われてしまった。
それでも、その状態から抜け出すきっかけが訪れた。それは沖縄への旅だった。長めの有給を取得し、思い切って環境を変えることにしたのだ。当初は旅行そのものが億劫だった。準備をする気力も湧かず、なぜ行くのかさえよくわからなかった。それでも「何かを変えたい」という漠然とした想いが僕を動かしていた。そして、沖縄の空港に降り立った瞬間に、その選択が正しかったと確信した。広がる海の青、澄み渡る空気、その全てが僕の内側に溜まった灰色を一掃するようだった。海辺に座り、ただ波音を聞きながら過ごす時間の中で、心の中に少しずつ光が戻ってきた。小さなことで悩み続けても何も変わらない。そんなシンプルな気づきが、僕を軽やかにしてくれた。
沖縄から戻った頃には、心は確かに回復していた。今では、飲み会の場などで当時のことを笑い話として語ることさえできるようになった。健康であること、心が穏やかであること。そのどちらも当たり前のように思えて、実はとても大切なものだと改めて気付いた。この経験が僕にとって2024年の大きな収穫のひとつだった。
2024年を振り返ると、こうした四つの出来事が特に心に残っている。長い時間をかけて考えたわけではなく、それが直感的に浮かび上がったということは、やはりこれらが僕にとって重要だったのだろう。この一年の中で、成長も退化もあったかもしれない。けれど、それらを分けて考えるのではなく、ただ一つの流れとして受け止めたいと思う。
さて、2025年はどんな年になるのだろうか。いや、その前に、2024年が完全に終わるまでの残り数日で何をするかを考えたほうが良いのかもしれない。時間はまだ少し残されている。そして、その残り時間をどう使うかで、次の一年の始まりが決まる気がしている。
この記事を読んでいるあなたにとって、2024年はどんな一年だっただろうか。そして、どんな2025年を迎えたいと思うだろうか。その答えはそれぞれの心の中にある。ただひとつ言えるのは、未来を迎える準備をするには、今この瞬間が最も良いタイミングだということだ。
たっくす
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