僕は年末の雰囲気が好きだ。冷たい風が頬を切る中、街にはきらめくイルミネーションが広がり、人々がどこか浮き立つような足取りで行き交う。これほどまでに人々の心が高揚し、同時に懐かしさや郷愁に包まれる季節は他にはない。なぜ僕がこんなにも年末を愛しているのか、自分でもときおり考える。思うに、それは久しい出会いと別れがこの季節に凝縮されているからだろう。
年末といえば忘年会のシーズンだ。年に一度、この時期になると、普段なかなか顔を合わせられない友人や知人に会う口実ができる。忘年会という名目のもとで集まることで、日々の忙しさに追われていた僕たちがふと立ち止まり、お互いの顔を見ながら語らう時間を得られるのだ。その理由付けの手軽さが、忘年会という文化を支えているように思う。実のところ、忘年会とは久しぶりに会うためのていのいい理由に過ぎないのかもしれない。
久しく会えなかった友人と再会すると、話題は積もる一方だ。彼らの近況を聞くのは純粋に楽しい。新しい職場での挑戦、家庭の変化、あるいは小さな日常の喜び。どれもがその人の生き様を映し出している。そして僕自身もまた、彼らに語るべき物語を持っている。今年一年の自分の成長を、自分がどのように変わったのかを話すことができる。忘年会はまさに人生の断片が交錯する瞬間だ。
だが、忘年会を終えた後には別れが訪れる。この別れは悲しみを伴うものではない。むしろどこか穏やかで、再会を予感させるものだ。卒業式や退職のように、取り返しのつかない別れではないことを僕たちは知っているからだろう。「バイバイ」や「じゃあな」という言葉ではなく、「良いお年を」という特別な挨拶がここで使われる。その言葉には、「新しい年を幸せに迎えてくれ、そしてまた来年も同じように会おう」という思いが込められているように感じる。
「良いお年を」という言葉には、魔法のような力があるのかもしれない。誰もが年末になると自然とその言葉を口にする。そこには、別れの悲しみを和らげる温かさがあり、再会への期待が宿っている。そして何より、僕たちが共有している時間を心から大切に思っている証だと思う。
今、この文章を書いているのは12月22日の日曜日。今年も残すところあとわずか。多くの人々にとって、この週が仕事納めになることだろう。そして忘年会のクライマックスが訪れる。1年を振り返り、思い出を共有し、笑い合うその時間は、何ものにも代え難いひとときだ。今年一年の自分を友人たちに見てもらい、互いの成長を祝う。その空間には、言葉にしがたい充足感が広がる。
もちろん、年明けにはきっと体重計の針が少し上がっていることに気づくだろう。しかし、それは昨年を良い形で締めくくれた証拠でもある。忘年会で語られた言葉、交わされた笑顔、それらが僕たちを次の年へと送り出す。
そして、みんなに伝えたい。「良いお年を」という言葉には、また来年もよろしくという約束が込められている。この言葉を心に刻みながら、僕は今年も年末を満喫する。そして、新しい年への期待を胸に抱きながら、また来年も同じようにこの季節を迎えられることを願っている。
たっくす
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