「自分の色は何色だろう」。この問いは、僕にとって人生を通じて最も深い謎だ。家族といる時、友人といる時、会社の同期といる時、僕はまるでそれぞれ別人のように振る舞う。けれども、そのどれもが偽物ではない。僕はひとりでいるようで、ひとりではない複数の「僕」が存在しているような感覚がある。
誰かと接するたび、僕の色は微妙に変化する。相手によっては、明るい黄色になり、またある時は深い青に染まる。まるでカメレオンのように、自分を周囲に合わせて変化させる術を知っているのだ。僕はその特性のおかげで、多くの人々とうまく付き合ってこれた。どんな場所でも、どんな相手とでも、自然と調和し、場に溶け込む。自分を変えて対応することで、表面的な摩擦を避け、物事を滑らかに進めることができたのだ。
しかし、時折感じることがある。自分を一切変えない、芯の強い人々に出会うとき、その違和感は顕著だ。彼らは頑固だと周りから揶揄されることもある。けれど、その揶揄には、僕はどこか羨望の色を見出す。なぜなら、そういった人々は自分の色を確立している。自分の信念や価値観を持ち、それを崩さない。その姿には憧れさえ抱く。自分の色をしっかりと持ち、揺るぎない心で生きることができる人間に僕は魅了されるのだ。
一方で、僕は自分の色を見つけることができない。もしかすると色がないわけではなく、本当の色を知らないだけなのかもしれない。自分の色は何色なのか?この問いについて考えると、果てしない思索の旅に出ることになるだろう。おそらく、その答えを生涯かけて探し求めても、見つかることはない。なぜなら、それは存在しないのかもしれないからだ。
ただ、ふと気づく瞬間がある。僕の中にさまざまな色があったとしても、その中で安らぎを感じる色があるのだ。その色の時、僕は何よりも落ち着いているし、自分らしいと感じられる。その色に導いてくれる相手がいるとき、僕はその人に対して特別な感情を抱くのだろう。そうした相手は、一生を共にする友人や、もしかしたら結婚相手のような存在かもしれない。
彼らはカメレオンのような僕を見透かし、僕にある特定の色を示してくれる。まるで「君はこれでいいんだ」と告げるように、僕の色を選び出し、それを大切にしてくれるのだ。変幻自在な僕の心に、静かで確かな色を与えてくれる存在。その色を共に見つめていくことができる人が、僕にとって本当の意味で大切な人なのだろう。
たっくす
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